2015年04月05日

航空機事故で失われた命 【Maria Radner】


2015年3月24日、ドイツ旅客機ジャーマンウイングス9525便がスペインのバルセロナを26分遅れで離陸し、デュッセルドルフ国際空港に向け飛行中、副操縦士が急降下させ南東部の標高約1500メートルの山岳地帯に墜落。

乗員6名乗客144名の計150名が死亡。

その中にオペラ歌手のマリア・ラドナーも乗り合わせていた。



マリア・ラドナーの父母はオーストリアから移住し、貿易商を始めた。

彼女は3人の子供の一人として、1981年にドイツのデュッセルドルフで生まれた。

両親は特に音楽に関心があったわけではないが、彼女はロベルト・シューマン音楽大学で学び、優秀な成績で卒業。

母は長い闘病生活の末、2003年に病死。

2008年に舞台デビュー。

2012年にはニューヨークのメトロポリタン・オペラでデビュー。

『トロイの人々』ではアンナ役で出演。



2015年3月23日バルセロナ・リセウ大劇場で『ジークフリート』千秋楽を終え、夫のサーシャ・シェンクと2歳の息子フェリックスと共に9525便に搭乗。

同機には共演者のカザフスタン出身のオペラ歌手オレグ・ブリヤクも搭乗していた。

先ほどの動画は舞台録音ではなかったので、如何に壮大なスケールかが伝わらないと思うので同じ歌曲をご紹介しておきます。

将来を嘱望視されていただけにとても残念です。

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2014年01月30日

危うくナチス入隊 【Hermann Prey】


ヘルマン・プライは1929年ドイツのベルリンで生まれたバリトン歌手。

徴兵される直前、第2次世界大戦は終結した。

ベルリン音楽大学で声楽を学んだ。

1952年フランクフルトで行われたコンテストで優勝。

1953年より1960年までハンブルク国立歌劇場に加わった。



1954年バーバラと結婚式を挙げ、3人の子供ができた。

ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」のフィガロ役で1955年ウィーンにてデビュー。

1956年にはアメリカでの初リサイタル。



親日家でも知られる彼が最初に日本でコンサートを開いたのは1961年。



シューベルトの歌曲集でも高い評価を得ている。

シューベルト生誕200周年にあたる1997年には、シューベルトの誕生日1月31日を挟んで日本で公演。



サントリーホールでのコンサートから約1年半後の1998年心臓発作により死去。(享年69歳)










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2013年12月16日

声を取り戻した奇跡の復活 【Bae Jae-chul】


ベー・チェチョルは1969年韓国生まれ。

ソウルの大学を卒業後、イタリアに留学しヴェルディ音楽院を修了。

ヨーロッパ各地でオペラ歌手として活躍、スウェーデンでの公演の際、痛くはないが高い声が出ずに違和感を感じるようになる。

何度か病院に通ったが異常を発見できず、2年半が経過。

ドイツの歌劇場で「ドン・カルロ」を演じている際明らかな声の不調を感じ、喉を触ってみると固いものが触れた。



翌日、診断結果甲状腺にポリープが発見され、「手術をしても声の神経に異常が発生することは殆んどない」と云われ手術の同意書にサイン。

しかし、いざ切開してみると想像以上にガンが広がっていた為、右の声帯の神経を約3a切り取り横隔膜の神経が手術で麻痺し、右肺が動かなくなってしまった。

2003年に日本デビュー。

日本公演の時世話になった音楽プロデューサーに相談し、調べてもらったところ「甲状軟骨形成」という声帯機能回復手術の権威である一色信彦京大名誉教授を紹介。

2006年4月25日声帯復元手術を受けた。



彼にとって恩師の一色教授は一色クリニックを京都で開業されていたが、現在は執筆活動に専念するため閉鎖している。

2008年にはアルバムをリリース。

そして同年NHKが彼のドキュメンタリーを放映し、多くの感動が生まれた。



2013年には彼の伝記映画を日韓合作でクランクイン。








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