2017年02月13日

第2のマレーネ・ディートリッヒ 【Ute Lemper】


ウテ・レンパーは1963年ドイツのミュンスターで生まれた。
ミュージカル女優であり、シャンソン歌手・ダンサーでもある。
ザルツブルグ音楽院、ウィーンのマックス・ラインハルト演劇学校でピアノ、声楽、バレエを学んだ。
彼女の持つ美貌と美声から第2のマレーネ・ディートリッヒと評されている。



16歳の時、パナマドライブバンドと呼ばれるジャズ・ロック・バンドに参加。
1983年ミュージカル「キャッツ」のウィーン公演に選抜され、本格的にプロとしての活動を始める。
1986年ミュージカル「キャバレー」の主役を演じモリエール賞受賞。



1994年コメディアンのデイビット・タバツキーと結婚。
ロンドンとニューヨークでミュージカル「シカゴ」に出演、オリビエ賞を受賞。



2001年最初の夫と離婚し、2011年にはドラマーのトッド・ターキッシャーと再婚している。



現在はニューヨークで暮らし、先だってのアメリカ大統領ではヒラリー・クリントンのサポーターだった。




公式サイト
http://www.utelemper.com/








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2014年08月09日

親日家のイベット・ジロー死去 【Yvette Giraud】


イベット・ジローは1916年パリで生まれ、モンパルナスで育った。

秘書として働いていた頃、友人のオペラ歌手から彼女の素敵な声を活かすため歌のレッスンを受けるように勧められた。

1944年モンパルナスのキャバレーで歌い始めた。

翌年、英国軍専属の歌手として雇われ、1946年次の曲でデビューし、たちまちヒット。



1952年に彼女をサポートしてきたピアニストのマルク・エランと結婚し、一緒に世界ツアーを開始した。

1955年日本を訪れて以来、すっかり日本が気に入り日本で多く活動するようになった。



NHKで数多くのドラマ出演していた小林千登勢が、1964年民放ドラマに初出演『芦屋川』で主題歌を歌っていたのがイベット・ジローだが残念ながら音源は残っていない。



1970年には主婦の友社より、「イベット・ジローの家庭料理」を出版し、フランス料理を紹介。

日仏文化交流の礎となり、日本におけるシャンソン・ブームにも貢献した。

日本の“布団”が気に入り、愛用するようになった。



1995年1月17日阪神淡路大震災が発生したが、数日前に神戸公演を終えており難を逃れた。

同年日本に於ける彼女の功績を称え、今上天王より手づから宝冠藤花章が下賜された。



日本経済新聞社から『幕が下りる前に… : 私の歌、私の日本』を発刊。

1999年最後の日本公演が行われた。

そして同年夫と共に歌の世界から引退した。



隠居後はストラスブールで暮らしていたが、2014/8/3老衰のため自宅で死亡、夫に看取られた。


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2013年11月11日

薬局をやめシャンソン歌手へ 【Lucienne Delyle】


リュシェンヌ・ドリールは1913年パリで生まれ裕福な家庭で育った。

当初は薬局で働いていたが、好きな音楽の道を選んだ。

アマチュア歌手から本格的に歌を習い、「サン・ジャンの私の恋人」の大ヒットで一躍スターダムに躍り出た。

サン・ジャンのいい男に夢中でどうしようも出来ないという意味の歌詞。

映画『終電車』にも彼女の歌が起用されている。



作曲家でトランペット奏者のエメ・バレリと出会い、共演。



そして二人は結婚し、娘(のち歌手)をもうけた。

ディスク大賞を受賞し、人気者となった。



数々のヒットを飛ばしたが、邦題『待ちましょう』もその一つ。



1962年48歳の若さで、白血病のためモンテカルロで亡くなった。








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