2014年07月10日

母親代わりのテディベア 【Patricia Kaas】


パトリシア・カースは7人兄弟の末っ子として、1966年ドイツとの国境に近いフランスのロレーヌ地方で生まれた。

父はフランス人の鉱山労働者、そして母はドイツ人の貧しい家庭。

6歳までは、ロレーヌ・フランコニア語というドイツ語訛りの方言しかしゃべれなかった。

学校でフランス語を学んだが、学校はあまり好きではなかった。

父は元ダンサーで母は女優を目指していたこともあり、自分たちの夢は彼女に託された。



8歳のころから歌い始めたが、内気で控えめな少女だった。

当時、彼女にとってのアイドル歌手はクロード・フランソワ

彼が39歳で事故死したときには、ショックのあまり寝込んでしまった。

13歳の時には越境してドイツのキャバレーで歌った。

そして音楽のキャリアを深めるために学校を中退。



クラブで知り合った音楽プロデューサーが彼女を気に入り、母子をパリへ誘いテスト・ビデオを制作。

彼がシンガーソングライターのフランソワ・ベルンハイムを紹介。

彼はとても感動し、俳優のジェラール・ドパルデューを説得。

ジェラールの資金提供で、ジェラールの妻とフランソワが共作、1985年処女作「ジャルーズ」を発表。

次の作品は、シャルル・アズナブールとの共演作。



1987年ポリドールへ移籍し、「マドモワゼル・シャントゥ」をリリースしたところ大ヒット。

母親が我が子に託した夢は叶った。

だが残念なことに母はガンに罹り、病気の回復を願って母親にテディベアを贈った。

その願いもかなわず、1989年母はこの世を去った。

彼女にとって最もかけがえのない大切な人を失って以来、どこへ行くにもテディベアが彼女の御供をする。



1990年12か国に及ぶワールド・ツアーを敢行し、その時初の日本公演も実施している。

そしてこの年CBSソニーに移籍。

アルバム「セーヌ・ドゥ・ヴィ」をリリースしたが、このアルバムに収められた「ケネディ・ローズ」は悲劇のジョン・F・ケネディ大統領の母親ローズ・ケネディに送られた。

今は故人となっておられるが、この頃ローズ・ケネディは車いす生活を余儀なくされていた。

1993年パリのグレヴァン蝋人形館で彼女の蝋人形が追加展示。

最後にエディット・ピアフの「愛の賛歌」をお聴き下さい。




公式サイト
http://www.patriciakaas.net/
posted by swing at 16:59| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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