2012年01月27日

星になったボーカリスト 【前野曜子】


前野 曜子は1948年銀座で生まれた。

高2の時に宝塚音楽学校に入り、弓千晶という芸名で宝塚歌劇団に入団、星組で初舞台。

しかし、体調を崩し1年で退団。

赤坂のディスコ「MUGEN」でゴーゴーガールを務めた。

そのディスコで知己の亀渕友香に出会い、「チアキちゃん歌えるよね。ウチに来ない?」ということでリッキー&960ポンドのメンバーとなった。



そして同じ事務所のペドロ&カプリシャスの初代ヴォーカルとして大ヒットを飛ばした。

この曲はウド・ユルゲンスの原曲に、石田ゆりと結婚したばかりのなかにし礼が作詞。



絶頂期にもかかわらず、深酒に因る仕事上のトラブルや恋仲となった黒人ミュージシャンを追って渡米。

しかし、恋の破局で傷心の帰国。

事務所に所属せず、マネージャーも付けず銀座や原宿のライブハウスで歌手活動。

新しい恋人の尽力により角川映画に抜擢。

同じ映画の挿入歌、歌のタイトルが彼女の将来を揶揄しているようだが、彼女の熱心なファンがいくら探しても墓所は謎に包まれたまま。



アニメ「コブラ」のテーマソング。



1988年40歳の若さで肝臓病により死亡。

奇しくも角川に引き合わせた恋人も40歳で同じ年に亡くなっている。

前後するが、1976年ディスコ「MUGEN」でリッキーに再会し、リッキー&960ポンドに復活している。





posted by swing at 16:15| Comment(1) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
前野曜子さん関連のブログ探訪をしている一人旅です。

草泉散人さんが主宰した4月18日の”前野曜子フアンの集い”に参加してきました。
ペドロさん曰く、”曜子は低血圧でアルコールも弱く、飲んだ後は朝が起きられなくステージによく穴をあけたので泣く泣くやめてもらったけど、詩(うた)の心を歌える唄の上手い子だったね”と。
「別れの朝」は最初英語でリリースをする予定が、なかにしれいさんがさっと日本語訳を仕上げてあの歌になったとか、「夜のカーニバル」は曜子さんはラテンの唄が上手く彼女に合っていたので、当時流行っていたベッサメムーチョに対抗するものとして仲の良かったかまやつひろしさんに作曲を頼んだという話もありましたよ。
今後とも前野曜子さんをよろし(?)

Posted by 一人旅 at 2014年05月26日 22:14
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: