2014年07月31日

日系アメリカ人俳優の草分け 【James Shigeta】


ジェームズ繁田はハワイ州出身の日系アメリカ人三世として1933年6人兄弟の一人として生まれた。

ニューヨーク大学では演劇を学んだ。

朝鮮戦争が始まると海兵隊に入隊。

のちに三船敏郎と共演した映画『ミッドウェイ』では南雲中将を演じたが、当時アメリカの海兵隊を2年半務め、除隊時の階級は2等軍曹。

TVタレントショーで優勝し、歌手としてのキャリアを始動。

人種偏見を回避するため、エージェントはガイ・ブライアンという芸名をを付けクラブなどで歌った。

1950年代後半に本名で東宝に招かれ、日劇の舞台に立った。

1957年にはNHK紅白歌合戦に初出場、「魅惑のワルツ」を歌った。(フランク・シナトラも同じ舞台に初出場)

帰国後、1959年『クリムゾン・着物』で映画デビュー。

1960年ゴールデン・グローブ賞有望若手男優賞を受賞。

1961年『フラワー・ドラム・ソング』では、ナンシー・クワンやナンシー梅木と共演。


 
映画『ダイ・ハード』では日系アメリカ人2世として出演。

ディズニー映画『ムーラン』ではリー将軍役で声優を務めた。

人気TVドラマ『ビバリーヒルズ青春白書』にも出演。

脳卒中のため、ビバリーヒルズの介護施設で2年間療養を続けていた。

2014年7月28日就寝中、永眠。(享年85歳)

posted by swing at 19:17| Comment(0) | ミュージカル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月18日

父は大物コメディアン 【Gary Lewis】


ゲイリー・ルイスは1946年にロサンゼルスで長男として生まれた。

父親はコメディアンのジェリー・ルイスで、母親のパティは元歌手。

母は大好きな俳優ケーリー・グラントに因んで名前を付けたかったのだが、病院側の誤記によりゲイリーという名前が付いてしまった。

14歳の誕生日にはドラムセットがプレゼントされた。

18歳の時、ビートルズに感化され友人4人とバンドを組んだ。



バンド名はゲイリー・ルイス&プレイボーイズ。

或る日、バンド仲間の2人がリハーサルに遅刻、「あなたのプレイ・ボーイ達はどこへ行ってたの?」と訊かれ、この名前が浮かんだ。

初期のころは、ドラマーとしてスタート。



1964年有名な父の名声を借りずに、ディズニーランドのオーディションを受け合格。

リバティ・レコードと契約。

やがて父とも同じ舞台や映画でたびたび共演。



1966年ドラムからギターに切り替え。



アメリカ陸軍に召集され、バンドを解散。

1967年フィリピン人と結婚し、娘を授かったが4年後に離婚。



そしてドラム・ギター・アクセサリーを販売する店を開業。

1980年父のジェリー・ルイスは母と離婚し、スチュワーデスと再婚してしまった。




公式サイト
http://www.garylewisandtheplayboys.com/

posted by swing at 17:04| Comment(0) | ロック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月10日

母親代わりのテディベア 【Patricia Kaas】


パトリシア・カースは7人兄弟の末っ子として、1966年ドイツとの国境に近いフランスのロレーヌ地方で生まれた。

父はフランス人の鉱山労働者、そして母はドイツ人の貧しい家庭。

6歳までは、ロレーヌ・フランコニア語というドイツ語訛りの方言しかしゃべれなかった。

学校でフランス語を学んだが、学校はあまり好きではなかった。

父は元ダンサーで母は女優を目指していたこともあり、自分たちの夢は彼女に託された。



8歳のころから歌い始めたが、内気で控えめな少女だった。

当時、彼女にとってのアイドル歌手はクロード・フランソワ

彼が39歳で事故死したときには、ショックのあまり寝込んでしまった。

13歳の時には越境してドイツのキャバレーで歌った。

そして音楽のキャリアを深めるために学校を中退。



クラブで知り合った音楽プロデューサーが彼女を気に入り、母子をパリへ誘いテスト・ビデオを制作。

彼がシンガーソングライターのフランソワ・ベルンハイムを紹介。

彼はとても感動し、俳優のジェラール・ドパルデューを説得。

ジェラールの資金提供で、ジェラールの妻とフランソワが共作、1985年処女作「ジャルーズ」を発表。

次の作品は、シャルル・アズナブールとの共演作。



1987年ポリドールへ移籍し、「マドモワゼル・シャントゥ」をリリースしたところ大ヒット。

母親が我が子に託した夢は叶った。

だが残念なことに母はガンに罹り、病気の回復を願って母親にテディベアを贈った。

その願いもかなわず、1989年母はこの世を去った。

彼女にとって最もかけがえのない大切な人を失って以来、どこへ行くにもテディベアが彼女の御供をする。



1990年12か国に及ぶワールド・ツアーを敢行し、その時初の日本公演も実施している。

そしてこの年CBSソニーに移籍。

アルバム「セーヌ・ドゥ・ヴィ」をリリースしたが、このアルバムに収められた「ケネディ・ローズ」は悲劇のジョン・F・ケネディ大統領の母親ローズ・ケネディに送られた。

今は故人となっておられるが、この頃ローズ・ケネディは車いす生活を余儀なくされていた。

1993年パリのグレヴァン蝋人形館で彼女の蝋人形が追加展示。

最後にエディット・ピアフの「愛の賛歌」をお聴き下さい。




公式サイト
http://www.patriciakaas.net/
posted by swing at 16:59| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする